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ちっちゃなお部屋

ちっちゃなお部屋

入院

入院

入院は当初3泊4日の予定でした。
(結果的には、大事をとって5泊6日になりました。同じ日に入院して同じ日に手術した人はみなさん結果的に入院を2日ずらして、月曜日の朝、担当医の回診後に退院としていました。これは、誰も相談していなくて、個人個人で望んだことなんですが、蓋を開けたら同じ日に手術をした人がみんな入院を予定より2日延ばしたみたいです。)



平成20年7月23日(水)

手術日の前日10時までに、入退院窓口にて手続きをしました。

この日は、主人が午前中は仕事で、午後から休みを取りました。
入院に当たりまして、実家の両親に助けてもらいました。
実家との距離は車で15分以内です。
ちなみに、実家は入院する病院の目と鼻の先でした。
いっそ、実家にとまってそこから一人で行こうかと思ったのですが、とりあえず、いつもと同じ日常を送って入院にしました。

父と母が家に来てくれて、母が子供たちと我が家で留守番その後主人が午後から帰宅してバトンタッチ、父が私を病院に送ってそのまま実家に帰る・・・という計画でした。

父には、入退院窓口の近くのドアで車を止めてもらって、そこで別れました。
普通に出かけるように「じゃあね~」と車を降りて、いざ入退院窓口の受付の・・・・。

と、周りを見ると、今日入院(明日は手術日だから)の患者さんが受付の窓口前の長椅子に座っていました。
皆さん大きな鞄とか、紙袋とかを持っていて、パッと見て、「あ、入院すんだ」と自分とおなじような荷物の人を見てすぐに気が付きました。

でも、一人で入院する人ってあまりいないような・・・・気がしました。
私は、父に車で入口で下ろしてもらって別れましたが、ここまで来たら入院して病室に入るまで一緒っていう家族も多いみたいです。
2回目の入院なので(前回は卵巣のう腫でした)、入院自体はドキドキしませんでした。


<入院に際して準備したもの>
手術後に必要とされたもの
バスタオル3枚・タオル1枚・前開き式の日本式のねまき・T字帯

<入院生活に自分で用意したもの>
「洗面用具」&身だしなみ用品(洗面桶・歯ブラシ・歯磨き粉・コップ・洗顔用具・基礎化粧品・くし)
 洗面桶に必要なものを入れて洗面所に持って行きました。車いすや杖を使う人は巾着袋に必要なものを入れて移動していました。
ドライヤーは病院の備え付けのものを借りました。

「入院記録用のノートとシャーペン」
 前回の入院の時にも持って行きました。おトイレの回数を正の字を書いて記録したり、検温を記録したり、入院食のメニューを記録したり、その日に思ったこととか、ちょっとした出来事とか、治療の様子を記録します。
 あとで見返すといい思い出になります。
入院中に見たちょっと変わった夢とかも、メモしました。

「文庫本」
 ふだん読まなかった本棚に眠っていた文庫本を持って行きました。手術前日は暇なので、一冊一気に読みました。
術後は、細かいものを読む気力がなくて、もっぱら漫画もの(おきらくもの)とかデイルームにあるとびとびの「北斗の拳」(患者さんかお見舞いの方が置いて行った?)を読みました。

「卓上時計」 旅行に持って行くような小さな物です。

「コップ」「お箸」「スプーン」・・・飲食用。

「ペットボトル」
 入院案内で、魔法瓶など落として壊れる物ではなくて、ペットボトルを持参して下さいとなっていました。このペットボトルに、お茶を配りに来て下さった時、お茶を入れてもらって、必要分飲んでいました。

「着替え用パジャマ」・「ハンドタオル」・「フェイスタオル」・「ハンカチ」

「除菌用お手拭き」・「箱ティッシュ」・「スーパーの袋」(ゴミ袋用に)

「退院時に着る服」

整形外科の入院患者は、スリッパは禁止で、院内の移動は運動靴と指定されました。(松葉づえなど、歩行困難な場合もあるので躓いてこけると危ないからだそうです。)

「ポケットラジオ」・・寝られない時の暇つぶし用に。

「携帯電話」・・家族を置いてきているので、やっぱり連絡を取りたいので。
あと、写真昨日もあるので・・(^^;)記録も取れるかな・・・と。

ざっと、以上が持ち物です。
同市内にの病院だったので、いざ足りないものは、主人にお願いすることになっていました。
洗濯物も、主人や、実家の母が持ち帰ってしてくれれることになっていました。



入院手続きをしたら、病棟の案内を受けました。
私は6階病棟でした。
まず、ナースステーションに寄るように言われました。

ナースステーションについて、名前を名乗ります。
デイルームで、担当の看護士さんが来るまで、待機しているように言われました。
ぼけ~~っと待ちます。
私の他にも3人ほど本日入院の人がいました。
デイルームで一人で座って待っていましたが、両親に付き添われて?入院の30代の男性もいました。
ちょっと心細くなりました。
心の中で「(同伴者)一人分けてぇ」と思いましたが、まあ、今日は術前だし、明日は、手術前に主人が来てくれるので、よしとしました。

担当看護士さんが来て、体温・血圧を計りました。
食事や薬や生活のアレルギーなどの質問、嗜好品の質問、日常の睡眠時間など質問項目をいろいろ聞かれました。

過去の手術歴も聞かれました。
10年前に、卵巣のう腫の手術をしたことを話しました。
その時に、部分麻酔だったのですが、麻酔針がうまく入らなくて数回ぶすぶす刺された痛みとその恐怖があることを話しました。
前回は妊娠中の手術だったので、肩に注射を打たなかったのですが、今回は打つんですよね?と、「期待大」で尋ねたら、最近当院では、部分麻酔の時は肩の注射をしないんですよ・・・と、実にショッキングな事実を知ってしまい、動揺しました。

と、一応話して、「他には手術はないですか?」と聞かれて、「ないです~」と暢気に答えた。
が、「骨折とかはしていませんか?」と言われて、おお~思い出しました。
中学1年生の5月に、当時体操部に所属していて(すぐ止めましたが)、練習中に左の手首と肘のちょうど真ん中あたりで、骨2本、ぼきっと折っていました。
この時は、手術と言っても、メスを使う手術ではなくて、医師による手の術で骨を整形してもらったの、自分の中で「手術」の記憶が薄れていました。
・・・ということで、およそ29年前の骨折も、過去の手術歴に記録されました。

あ、効き手も聞かれました~。


聞き取り調査が終わったら、病室に案内されました。
6人部屋で、3人すでに入院中でして、私は4人目の入院患者となりました。

各ベットにカード式で使える簡易冷蔵庫・テレビが付いていました。
冷蔵庫・テレビ・簡易金庫・引き出し・棚が一式家具になっていました。
冷蔵庫とテレビを利用するために、カードを1000円で購入しました。(残り度数は、退院時に清算できるようになっています)
テレビカードを入れて、冷蔵庫の使用時間をセットすると、残り度数が出ます。テレビは見ている分でいくらと決まっていました。
オリンピックの時だったら、ずっとテレビを見っぱなしで大出費でした。オリンピック開催前で助かりました・・・。

荷物を片づけてぼけ~っとしていたら、看護士さんがいらっしゃったので、「私は、何をしていたらいいのですか?」と聞いたら、「今日はゆっくりしていてください。」と言われました。「パジャマを着てもいいんですか?」とまで聞いてしまった・・・。
前回もそうですが、見た目普通なので、なんだか、看護士さんが一生懸命働いているのに、手術もしていない私がパジャマでいてもいいのかな???と申し訳なかった。
でも、すぐ着替えました。


皆さん私よりも年上で、耳ダンボに聞いていたのですが、どうも一番私の年齢に近い方でも10歳年上でした。

術前は暇でして・・・・家から持ってきた文庫本を読んでいました。

同室のおばあさんに聞かれたのですが、
「お宅は、学生さんですか?」
と・・・・。
ひゃ~~41歳ですよ~~とは、暴露できませんでしたが、
「とんでもないです~違いますよ~~!」
と答えました。


午後に主人が子供たちを連れてお見舞い(ってまだ手術前…ですが)に来てくれて、「あんな大きなお子さんがいらっしゃるのね~」と言われました。
確かに、お年を召していると、20歳も40歳も、変わらないかも・・・いや、変わりすぎるか・・・。


同室の人からは、「元気そうなのに、一体どこが悪いの?」と聞かれました。
整形外科病棟なので、骨折の人とか、入院時から目に見えて何かを患っている人が多いので、私みたいな見た目は何ともない人が入院してきたのはとても不思議だったようです。
一応説明もしましたが、「まだお若いのに・・・」と言われたりもしました。
ああ…お若い・・・。
ちょっと嬉しくなりました。



後で主人に聞いたのですが、娘が「お母さん、帰ってこないなんて信じられない。」としょげていたそうです。しかも、お見舞い?に気たら、家の外なのに、パジャマ着て眼鏡かけている私を見て、嫌だったそうです。(基本的に家では眼鏡なんですが、外で眼鏡のお母さんはちょっと違うらしくて嫌だったそうです。)
娘は、軽度発達障害でして、ずっとつきっきりでサポートというか、育ててきました。娘と離れて夜を過ごすのはこれが初めてです。
今回の入院で私にとって一番打撃だったのは、娘との別離でした。
主人も、普段から娘とのかかわりは多いのですが、何と言っても自分が一番娘に対してどしんと構えていたからです。
(でも、ある意味、これも、いい成長をもたらしてくれたことになります。お母さんがいないから、ずいぶん頑張らなくっちゃと言う意識を持って娘は自分のことを頑張っていたそうです。親としても、これを機に、より一層の娘の自立に向けての訓練(?)を心がけることに意識が向きました。)



その日の夜は、9時消灯でしたが、やっぱり寝れませんでした。
前日まで11時ごろまで起きていたので、「無理」です。
しかも目玉ギンギン。
10時頃看護士さんが、巡回に来たので、寝れないことを伝えたら、「目を閉じているだけでもいいので・・・」と、言われました。
あ、眠り薬は出ないのね・・・・。

その夜は、同室の方のいびきが交互に聞こえて、あるいは三重奏。。。。ちょっと寝れませんでした。


明日は、朝一番で手術なので、午前12時までしか水分をとれないと言われていて、あがきのように飲んでいました。
12時前に、最後の一口飲めばいい。。。と思っていたら、うっかりして、寝ていて、は!っと気がついたら深夜1時でした・・・。
とても残念でした・・・。

結局、起床時間まで、起きたり寝たりの繰り返しでした。
朝は6時半起床ですが、それより前に目が覚めました。


その日明け方に見た夢
バスのハイジャックに遭遇してしまいました。
バスの行き先表示が、なぜか、テレビカードの残り度数でして数字がカチカチと減っていきます。
ハイジャック犯人は、「メチコバールをよこせ!」と立てこもります。
私は、「メチコバールのどこがいいの!?こんなのあげるわよ!」と説得(?)していました。
参考までに、メチコバールは、最初の整形外科から神経内科の間1年半以上飲み続けている錠剤です。末梢神経のお薬です。













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